37歳、もう一度夢を追う。

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37歳、もう一度夢を追う。

ララとルル表紙

物心ついた時から、絵を描いていた。
空想でいろんな生き物を描いたり、斬新な色使いをしていたから、小学校のスケッチ大会ではいつも怒られていた。

「見た通りに描きなさい」
そう言われて泣きながら描きなおしたこともあった。

でも、ある時とある先生に「とても素敵な絵を描くから、コンクールに出してみようか」
そう言われて描いた絵が何かの賞を受賞して、地元の新聞に載る。

「 なんだ、自分の思った通りに描いていいんだ…」

それからは、自分の好きなように描いた。描きまくった。
色んなキャラクターを作って、クラスの友達に見せたり、
大好きな漫画のキャラを、自分なりにアレンジしてみたりした。

そして、中学生になる頃にはノートに漫画を描き始めていた。

大学ノートに鉛筆だけで描いた漫画。
いっちょまえに連載なるものを始め、四冊くらい描いたと思う。

クラスの友達が続きを楽しみにしてくれる程には人気があった。

そして迎える中学三年生。
母に、「漫画家になりたいから、高校に行きたくない」と言ってみる。
思っていたとおり、母からは「高校だけは出てほしい」と一言。

女手一つで育ててくれた母からの、せめてもの願いだった。

20年以上前の、あの時代、「漫画家になる」という夢は、途方もない夢物語だった。
ネットもダイヤル回線が普及し始めたばかり。スマホもない。
漫画家になるには、「漫画雑誌で新人賞を取ってデビューする」という道しかなかった。
いや、幼い私にはそれしか思いつかなかった。

たしかに現実的じゃないか…。
そう思いなおし、もうひとつの夢に視点を向けてみる。

「動物関係の仕事につきたい」

そう。昔から動物が大好きだった。
団地暮らしで、犬や猫を飼うことはできなかったが、ずっと人間以外の家族が欲しかった。

そんな中、福岡に動物の専門学校があることを知る。
すぐに資料請求をし、届いたパンフレットにくぎ付けになった。

「そうだ!トリマーになろう!」
あらゆる学科の中で、ペットトリマーの学科に特に惹かれた。
入学条件は、高卒以上。
しかたなく高校を受験することにした。

結局、高校は行って良かった。
生涯の友に出会えたし、そこでの三年間は今でも私の宝物のひとつになっているから。

そして専門学校、はじめての県外、寮生活。
ホームシックを乗り越え、たくさんの友達を作り、切磋琢磨しながらトリマーを目指して頑張った。

その後、卒業前には地元のペットショップに就職が決まり、トリマーの資格も同年に取得することになる。

が、ほんの数カ月でそのショップは閉店した。
そして私はその前にショップを辞めている。ブラックが過ぎたからだ。

憧れていたトリマー。
小さな夢のひとつは叶えた。
が、あんまりしっくりこなかった。

もちろん、たくさんの犬たちと関われたことは嬉しい経験になった。
中でも、トリマー講師の先生の元で生まれたダックスの子犬が、巡り巡って私の子になったこと。
今でもこのご縁には感謝してもしきれない。
(去年、私の腕の中で星になった★15歳9ヵ月の大往生だった🐶)

トリマーはすぐに辞めてしまったが、専門学校に行った意味はとても大きかった。
奨学金はいまだに終わっていないけどw

それからいろんな仕事を転々とし、
時には恋愛に没頭したり、また県外に飛び出したり、
人生を割と謳歌してきたと思う。

そんな中でも、ずっと絵は描き続けていた。

そして2011年を過ぎると、一気に世の中が加速する。
スマホやLINEが当たり前になり、Twitterやアメブロなどの自己発信のツールが爆発的に広まって、ペイントソフトもスマホで簡単に描ける世界線がやってきた。

LINEスタンプも個人が簡単に販売できるようになり、私はさっそく作成してみることにした。

儲けたいとか、そういうことじゃない。
絵が好きで、いろんな人に見て欲しくて、何より自分のスタンプをLINEで使えるというだけで胸が高鳴ったからだ。

とはいえ、今までアナログでしか描いたことがなかった私。
色々と検索して、なんとなく見つけたペイントソフト(もう名前も忘れたw)で挑戦してみる。
もちろん、タッチペンなんて持っていないので指描き。

「背景透過?なにそれ?」こんなレベルw
それでも情熱だけはあったので、一気に40個のイラストを描き、背景透過やリサイズについて調べ、下手くそながらも最初のスタンプを販売することができた。

★参考までに貼っておく。私のデジタル最初の作品。
今見ると相当へたっぴだけど妙に味がある一品ww

くま犬ちゃんの日常 - LINE スタンプ | LINE STORE
日常で使える会話を、くま犬ちゃんがおしゃべりしてます。 友人同士で楽しく利用できます。

その時は、周りにLINEスタンプを作っている人なんていなかったので、仲の良い友人知人はみんな驚いてくれたし、買ってくれた。
日本語なのに、なぜかオーストラリアの人も買ってくれていた。
(管理画面で買った人の国が見れる)

自分が作ったスタンプを使ってる人がいるというだけでとても嬉しかったし、その一番最初のスタンプはそれからも定期的に売れた。(ちょっとだけどね)

その後、「メディバンペイント」という神アプリに出会い、
一気にデジタルお絵描きに没頭していく。

ある程度描けるようになると描いた絵をポストカードにしたりして、友達にプレゼントするようになった。

友達から、「お金出しても買うレベルだよ」と言われ、「売る」という選択肢もあるのか…と考えるようになっていく。

そんな時、某デパートのハンドメイド雑貨のお店が「アーティスト募集」の広告を出しているのを見て、すぐさま問い合わせた。
「ポストカードや絵でもOK」
とのことで、すぐに自分の作品を何点かラッピングして面接を受けに行く。

が!

その面接がすべての転機になる。

そこのオーナーは、女性で絵描きさんだった。
「主力商品は、ハンドメイドアクセサリーなんだろうな…」という感じのショップだったので、正直びっくりしたのを覚えている。

そしてもうひとり、相談役?的な立場の偉い人が出てきた。(60代くらいの男性)
彼からは、

「オーナーの絵も凄いけど、絵だけでは稼ぐことができない。需要のある商品をたくさん作らなければ意味がない。」

…まぁ、要約するとこういう感じの話を、約二時間以上される。
長い。長すぎる。

正直、「私の絵をお店に置くつもりがないのなら、一言そう言ってくれ。帰るから。」
そう思いながら、とりあえず相槌を打ち続けた。

首がもげるやろ。早く終わってくれ…。

そして最終的にびっくりしたのは、
「みんな毎日のように徹夜をして、ひとりひとりが毎月600万円以上売り上げている。おかげで、ショップの売り上げは何千万円もある。」
というお金の話をまた延々と語り始めたことだ。

正直ゾッとした。

え?私、別にアクセサリー作りたくないし。
いや、それが好きな人ならいいのよ?素敵なことよ。でも、私は絵が描きたいのよ。
やりたくないことをやって「使う暇もないお金」をたくさん稼いで何になるの?
それなら、週休二日のOLで、月20万円くらいしか稼げなくても、
アフターファイブや休日を思い切り楽しみながら絵を描いた方が、遥かに幸せじゃない?

そう思った瞬間、まじでこの時間が無駄にしか思えず、
時間がないので、と言ってその場を後にする。
(もっと早くそうすればよかったw)

その男性が雄弁に語っている横で、年商何千万?だかのオーナーは少し遠い目をしていた。

きっと彼女だって、絵を描いて生きたいはず。
そんな気がした。

その道が間違いだとは言わないけど、私は知らなくていい世界だと思った。

ただ、その時は無駄だと思ったその「クソ面接」
実は全然無駄ではなかった。

その後、「じゃあ「絵」を仕事にするにはどうしたらいいんだろう」と考えるようになっていたからだ。

ただ好きなように描いただけでは、友人くらいしか買ってくれない。
「そうか、需要のある絵を描けばいいんだ!」
そう思ったのが、2018年、34歳の時だった。

元々、いろんなタイプの絵を描いていたし、
デジタル絵師になったことで、何かをデザインしたりすることも好きになっていた。

「小さなデザイン事務所とか良さそうだな?」
思い立ったら止まらない女。
2018年の夏には会社を辞め、10月には開業届を出した。

そこからはいろんなことをやった。
まずはホームページ。お金がないから、自分で作る。
これがめっちゃ大変w

仮にも事業用のホームページ。ちゃんとサーバーを借りて、一から作らなければ…。
何やら、ワードプレスってやつがいいらしい…ふむふむ…。

始めてのワードプレス。まじで意味わかめすぎて、真夜中に何度も発狂する。
発狂する→寝る→起きてパソコン開く→カタカタ…また発狂する。
この無限ループ。

まじで辛かった。
でも、なんとか最初のホームページを作り上げた。
もちろん、毎月ちょこちょこリニューアルしながら…。

そこからは、割とがむしゃらに仕事を取っていく。
紹介や、ホームぺージから、Twitterから…いろんなご依頼をいただいた。
(ここらへんは長すぎるので、今度何かにまとめようかな)

2019年の終わりには、40万くらい?は売り上げていたと思う。
はじめての起業にしてはいい方じゃないだろうか?

似顔絵、ロゴデザイン、パッケージデザイン、ハンコ作成、フライヤーや名刺、食品シールなどの作成…などなど本当に幅広くやっていたと思う。
今考えると、がむしゃらだった。

本当は得意分野に絞ってやった方が良かったし、
マーケティングの仕方もあんまりよくない(;^_^A

でも何もチャレンジしない奴よりマシだと思う。
自分でも、よく頑張った方だ。

そして、ついに世界には未知のウイルスが蔓延し始める。
よくご依頼をただいていたクライアント様は個人事業主の方が多く、依頼がキャンセルされたり、打ち合わせが延期になったりした。

リスクを取らないようパソコン一台で起業したので、
赤字でも暮らしていけたのは幸いだった。
経費はネット代と、家賃按分の数万円、サーバー代の数百円のみ。

何より、時間に縛られない仕事だったので、私は空いた時間に働くことができる。
そう思い、家の近所にある某通信会社にてショートタイムの事務の仕事を始めた。

16時まで働いて、夕方からご依頼の仕事をする。
毎日依頼があるわけではないので、何もない日は17時から晩酌をしたりしていた。

同時に、Twitterの鍵垢では、趣味で描いた二次創作のイラストや漫画でフォロワーさん達とキャッキャするのが日々の楽しみになっていた。

そして、運命の2021年夏。
母が緊急入院する。
脳腫瘍が原因のてんかん発作だった。

元々、癌を患っていたが、手術後は安定していた。
定期健診を受けつつ、友人と会食したりして、それなりに楽しく暮らしているようだった。

私もコロナ禍になる前は、三ヵ月に一回帰省しており、ほぼ毎日のように連絡は取っていた。
それでもそんな日は急に訪れるものだ。

親戚にも急かされ、急遽地元へ帰ることに…。
仕事を辞め、二週間かけて新住居の契約と引っ越しの準備をした。

この時、私の「実家」はもうなかった。
実家は団地で、少し交通の便の悪い場所にあったし、何よりエレベーターがない。
母は実家を引き払い、バス停やスーパーの近い地域でアパートを借りて一人暮らしをしていた。

母からは「一人暮らしがいい!」とずっと言われており、
私自身、離れている方がお互い優しくいれることを身に染みて分かっていたので、一緒に住む選択肢はそもそもなかった。

そのため、母と同じアパートの階違いの部屋を借りた。
これならお互いのプライベートも保たれ、すぐに様子も見に行ける。

間取りも知っているので、内見もせず電話一本で契約した。
人間その気になれば、二週間で引っ越しできるようだ。

思えば帰省はしていたものの、暮らすのは10年ぶりの我が地元。
母が住むアパートは、まさに良く遊んでいた地域にあった。
10年経っても変わらない風景。
近所の飲食店やお店まで変わっていない。

落ち着く半面、インフラの悪さにも苦しめられる。
でも徒歩移動は嫌いじゃない。
綺麗な空気、満点の星空を日々満喫しながら、母のお世話をさせてもらった。

三ヵ月くらい経つと、母の容態もよくなり、
お散歩したり、友人とお茶したりできるようになっていた。

そろそろ働こうかな。
そう思ったが、なんだかもうデザインの仕事はしたくないな…などと考えていた。

母や引っ越しのことでバタバタして振り返る余裕がなかったが、
よくよく考えると、デザインの仕事はやりがいも楽しさもある反面、モヤモヤする仕事も多かった。

自分とクライアント様の気に入るデザインは全然違う。
そんなのは当たり前で、クライアント様が
「これこれ!すごくいい!ありがとう!」と言ってくださったとしても、
内心「私の美学には反するんだよなぁ」と思いながら納品することも多々あった。

単純にマーケティングが下手だったので、
狙ったターゲットを集客できていなかった…と言えばそれまでだが、
それにしてもちょっとモヤっとしていたのだ。

これじゃ、あの女性オーナーとあまり変わらない。
絵やデザインをお金にする。ということだけでいえば、そのオーナーよりは夢に近いかもしれない。
けど、なんか違うんだよな…。
そう思っていた。

正直、数万円で描いたデザインよりも、
Twitterの鍵垢で、ただただ趣味で描いたイラストやミニ漫画でフォロワーさんを楽しませることの方が、何倍も価値があるような気がしていた。

そして、秋。ひょんなことから、「ライブ配信でお絵描きしているところを見せる」
そんな面白い世界があることを知る。

その時、数年ぶりに胸が高鳴るのを感じた。

今まで、鍵垢だけで描いていたイラストや漫画…。
ちゃんと一次創作で世に出したいとはずっと思っていたけれど、なかなか奮い立つきっかけがないまま時が過ぎていた。

でも、そうだ。
私は、好きように絵が描きたい。
そして、物語が描きたい。

それを、仕事にしたい。

誰かの要望にフル寄せした仕事ではなくて、自分が描きたいストーリーを売りたい。

そっか。

ふっと自分のスイッチが入る音がした。

宝箱のずっとずっと下にしまい込んだ、幼き日の夢。

「漫画家になりたい」

とってもシンプルな夢なのに、なんで難しく考えていたんだろう。

そこからは、もう、夢中で勉強をした。
絵の描き方じゃない。
「ファンのつくりかた」を。

ファンがいれば、本は売れる。仕事にできる。

デザインの時には失敗したけど、それはターゲットを絞れていなかったから。
自分の作品を好き!と言ってくれるファンを集めなきゃ。

そう思い、いろんな計画を立て、10月からお絵描き配信を始めた。
(ただ、配信アプリの勉強は全くしていなかった。 腐れ盲点w なので結局初配信の日はとんでもなく黒歴史deth)

そして、「お絵描き配信」を始めて四カ月。
少しずつ作品のファンになってくれる人ができてきた。
小さいけれどファンクラブもできたし、何より画力がめちゃくちゃ上がった。
四カ月、毎日絵を描き続けることができたからだ。

「一日一絵」
これは、ひとりで続けることは本当に難しい。
絵を描くことだけなら、できる。

しかし、SNSで公開し、いろんな人に自分の作品を知ってもらうために描く絵。
それを毎日、一定以上のクウォリティで毎日…。

これはダイエットと同じで、
ひとりでジムを契約しても毎日行かなくなるのと似てる。
やはり、意志の弱いめんどくさがり屋さんには、付きっきりで見てくれる人が必要なのだ。
ジムの場合はパーソナルトレーナー、絵師の場合は、ファンの方々。

そしてライブ配信をすることにより、強制的に毎回人に見られながら絵を描くので、
逃げ場はないw
一日一絵と謳って始めた私は、必然的に四カ月絵を描き続けることができ、
結果、画力が上がるという素晴らしい効果も得られた。

もちろん、まだまだ描きたいストーリーに画力が追い付いていないのが事実。
でも、それが逆じゃなくて良かったと思う。
描きたいストーリーは無限にあって、割と壮大だからだ。

最初は粗削りかもしれない。

受け入れられないかもしれない。

それでも、私の作品が世に出て、それで少しづつ読者が増えて行って、
それを仕事にすることができれば、さらにいろんな作品が作れる。
これは私だけの夢じゃなくて、今となっては数少ないファンの方の夢でもある。

幼き日に見た夢のしっぽが、ほんの数キロ先でブンブン振れているのが、今なら見える。
いや多分、今だからこそ見える。

いろんなことがあって、やっと戻ってきた。

宝箱の底に大事にしまって、鍵をかけて、ずっとずっと、「いつか…」なんて言ってただ眺めては、また鍵をかけていた、あの時の夢。

37歳になって、やっと鍵を引きちぎりに戻ってきた。
さすが箱入り。全然色あせていない。

もう鍵なんかしないよ。

外に出してあげる。

一緒に飛ぼう。

そして、行きつく先の景色を、みんなにも見せよう。

 

ここまで読んでくれた活字猛者達よ。
これからも、応援してくれると嬉しい。

最後まで読んでくれてありがとう♡

 

 

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